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アニメマンガ解説ブログ

暇人がアニメとかゲームのこと書いてるブログ

吉原もの

7月 31st, 2011

私が「俺は“遊郭”とか“花魁”とか“吉原”とか“島原”なんて単語には弱いスねぇ」なんて事を言うと、 大方の人は『こいつ風俗大好きなんだろうな』見てーな顔をされますが、 違いますよ? ぶっちゃけた話、わたしゃ自転車で、“今の”吉原大門まで行った事がありますし、 “死んだ遊女を放り込む穴が掘ってあった寺”にも参拝しましたが、スケベ目的ではなかったですねぇ。 どちらかと言えば物書きとして、明治44年の大火で焼失する以前の吉原に興味があるので関係する文献やら論文やら、 “歴史でも専門分野じゃないのに漁ってる”と行ったところですか。何せ想像・妄想するのも簡単じゃないですしね。 しかしまぁ世間にはその苦労をいとわずに、“大門があった頃の吉原”を舞台にしたゲームやらコミックス、 あるにはあるんです。 例えば……、ん~、 スケベゲーム(私はエロゲーといういい方は好まないのでスケベゲームと言います)だと火宅のアーカイブにある中から探すとTinker Bell様から05年発売の『蝶ノ夢』、 続編で09年発売の『蝶ノ夢~二人の蝶~』辺りになりますかね。 両方とも“ことに及ぶシーン”もシナリオもキャラクターの造形も良くできていて良いゲームだと思いました、 ただ、“遊郭もの”ではあっても“吉原もの”かと問われればクエスチョンマークですね。 コミックスで言えば、映像化もされた『さくらん』。 後、コレをご存じの方は“通”と名乗って差し支えないと思うのですが『陽炎、稲妻、水の月』ですか、 こちらの方は少女漫画ですが。 『さくらん』はまぁ面白かったです。 ただ、できれば一巻完結ではなくて続巻出して欲しかったですね。 『陽炎、稲妻、水の月』の方は『さくらん』よりも、より吉原の暗部、 とりわけ花魁になってる女性達が何故そこに至るかの過程とか精神的葛藤とかの面がウェイトを占めてますね。 そらー、“吉原もの”ですからベッドシーンは当然あるのですが、女性向き、 と言う言葉がこの場合適当なのかどうか分かりませんがメインは主人公(花魁になった女性)の心理描写ですな。 そう言う部分って、こう言う言い方は失礼なのかも知れないけれど、 男性作者の場合ないがしろにされる場合もあるから非常に面白かったですね。 なんで重版出ないのか、私は理解に苦しみます。手に入れるのにどれほど手を尽くした事か……。 ここで、『さくらん』と『陽炎、稲妻、水の月』が“吉原もの”と言って差し支えないのに、 『蝶ノ夢』『蝶ノ夢~二人の蝶』が“遊郭もの”なのかご説明したいと思いますが、実に単純な事です。 『さくらん』と『陽炎、稲妻、水の月』に関しては、 少なくとも私が考える限り“江戸期の吉原でなければ成立しない”作品なのに対して『蝶ノ夢』『蝶ノ夢~二人の蝶~』に関しては“別に吉原でなくてもいい”し、もっと言ってしまえば“日本と関係ない国の娼館ものとしてでも成立した”作品だからです。 この辺のさじ加減が難しいのですけれどもねぇ、ゲーム創るなりコミックス描くなりの段階で参考文献を読み込んでいるかどうか。 要するに“この作者さんは大門があった頃の吉原について調べたんだろうか?”と言う疑問が出て来てしまうと、 残念ですが私は上で書いているように“吉原もの”と“遊郭もの”に分類を始めざるをえません。 “遊郭もの”とは別に“娼館もの”と言うのも存在していてそれもまぁ好物なのですが、 そうなると作品自体が結構な量になってしまいますのでご容赦を。 そんなような感じで、「俺のハートに“マーブルスクリュー”叩き込んでくれるような“吉原もの”は無いのかね……」と軽くバッドな気分で日課の秋葉警備(人はそれを徘徊という)を行っていたところ、 非常に気になるタイトルが。 ライアーソフト様よりこの7月22日発売予定の『オイランルージュ』。 しかしいくら私が“遊郭”“花魁”“吉原”の三点セットに弱いとは言え、 そんなに簡単にスケベゲームを買い漁っていては懐が厳しくなるは必死だったので、 帰宅してからライアーソフト様のホームページに飛んでじっくりと見たんです、 結果、翌日には予約してましたね『オイランルージュ』ね。 最大の決め手になったのは、公式ページ内の特設ページを一頻り全部見たときに、 「ああ、このゲームにかかわってる人、少なくともシナリオライターさんやプロデューサーさんは“吉原に変な幻想を抱いてないしかなりお勉強なさったな”」が感じられたからです。 ジャンルが“遊郭経営SLG”ですから当然と言えば当然ですが。 私も男ですから分かりますが、“遊郭”だの“花魁”だの“吉原”と言った単語は安直にスケベに結びつくかと思います。 しかし実態は、ちと調べてみれば分かるのですが少なくとも“江戸後期・幕末までの吉原”は“厳格な作法”と“見栄”と“金”と“欲”と“江戸の粋”の世界な訳です。 そこいら辺をなまじ知ってしまったが為に、少女漫画等の“吉原もの”とうたっている作品がどうにもこうにもと思っていたんですが『オイランルージュ』はそれを何とかしてくれるんじゃないかと思って居ましてね。 実はライアーソフト様のゲームをプレイさせていただくのは、お恥ずかしい事にコレが初になるのですが期待度は非常に高いです。 簡単なようで実際とんでもなく難しい“吉原もの”にあえて挑戦されたライアーソフト様の心意気も感じますし、 キャラクターデザインも(こう言う言い方は気分を害する方がいらっしゃるかも知れませんが)媚びに媚びているデザインでもないですし。 少なくとも、この夏のスケベゲームの中では私の期待度ランキングでは『オイランルージュ』断トツ、だと申し上げておきましょう。

しおふきマーメイド

7月 30th, 2011

世間に出回っている商品には大体商品名とかタイトルとかついてますね、 でもそれを聞いただけでは何だか良く分からなかったりします。 例えば、“セメダイン”。 名前だけ聞いても何だかよく分かりませんね、正解は接着剤ですが。 例えば、“トング”。 これも今一ですね。正解は焼肉屋さんにあるアレです、お肉を挟んで網に乗っけるヤツ。 ではこれはどうでしょうか? 『しおふきマーメイド』 私個人としてはこのタイトル考えた方は“とんでもない天才”か“とんでもないアホ”かどっちかだと思いますね、 だって取り敢えず『ああ、“スケベな何か”だな』と言う事は一発で分かりますもの。 そんな訳でマリン様のスケベゲーム(私はエロゲーといういい方は好まないのでスケベゲームと言います)についてなんですが、 ある意味尊敬すら感じますね。 普通、企画会議で商品名として『しおふきマーメイド』とか言おうものなら鉄拳が飛んできます、確実に。 いかにそれが“水着でそう言う系統のスケベゲーム”であっても。 ただ、インパクトは半端なものではありません。 私はスケベゲームのタイトル買いジャケ買いはあまりにリスキーなので普段しませんが、 PCゲームショップで『しおふきマーメイド』を見たとき瞬間的に吹きました、そして買いました。 で、プレイしてみたのですが確かにタイトルの通りなんですよね~。 スイミングクラブが舞台だから水着だし、何だか知らないけどプレイヤー物凄いテクニシャン設定だし。 だからタイトルとしては全然間違ってないんですよ、『しおふきマーメイド』。 マリン様の凄いところはそれで日和らずにタイトルのインパクトが半端ない作品を量産しているところですね、 私がプレイしたのは『しおふきマーメイド』と次作の『びんかんアスリート』の2作だけだったので「他のタイトルを調べよう」とマリン様のホームページに行ったんですよ。 結果、面白すぎて煙草の煙が変なところに入っちゃってむせてるんだけど笑わざるをえないと言うヘルピクチャーでしたね。 で、今まで一寸冗談めいた話をしたので若干真面目な話をしますとね。 スケベゲームに限らずなんでもそうなんですがタイトル考えるのが一番大変なんですよ、 私は同人活動してますが小説のタイトル考えるのが“ド下手くそ”なのでいつも困りますね。 しかもタイトル一つで売れ行きが全然違うので手抜きなんてできませんし、 商業では最初と全然違うタイトルになって製品化と言うのも良くある話ですし。 一番有名なのは『セカチュー』の初期タイトル、 アレは実は『恋するソクラテス』だったそうです。 それを編集者の方が『タイトル変えて下さい』と作家さんに進言して『世界の中心で、愛を叫ぶ』になった、と。 結果は言わずもがなですね、恐らく皆さんご存じだと思います。 ことゲームやらコミックスやら小説やらの場合、タイトルをつけるセンスも結構みんな見ているはずです。 だから私はマリン様の新作に関しては毎回楽しみで仕方がないんです。 「次はどんな飛び道具で攻めてくるんだ?」 そう思いながら日次巡回サイトの中に入っているマリン様のホームページを覗いています。

二種類の人間

7月 29th, 2011

これはあくまで私個人の意見なので聞き流していただいて結構なのですが、ことアニメやらゲームやらの業界においては二種類の人間がいるのではないかと思います。 “天才気質の人間”と“秀才気質の人間”。 少なくとも私が贔屓にしている監督さんはお二方いらっしゃいますが、そのお二人は当に典型例ですな。 作品観ていただければ分かるのかも知れませんが、アニメ映画の『ほしのこえ』『雲のむこう、約束の場所』『秒速5センチメートル』、 この3本は明らかに天才の仕事だと思いました。特に『ほしのこえ』を観たときに強烈に感じましたが。 『ほしのこえ』の劇場公開が02年ですが、私が観たのはそれから若干間が空いて04年くらいだったかな? 初めは『ほぼ一人でアニメを作ったヤツが居る』と聞いて例によって「話のタネにでもなれば」でDVD借りてきたんですよ、 観た結果“いい意味で開いた口が塞がらなくなってしまう”んですけれどもね。 でも、衝撃はそれだけでは終わらなかった。 上には書きませんでしたが『ほしのこえ』のDVDには最初期短編の『彼女と彼女の猫』と言う5分くらいの短編が収録されてます、 『ほしのこえ』を見てかなり“いい意味でのショック”を受けた私は『彼女と彼女の猫』も当然観て、見終わった後呟いていました。 「冗談じゃねぇ……」、と。 それはそうです、『ほしのこえ』にせよ『彼女と彼女の猫』にせよ、制作されたのは2000年紀の極初期。 要するにハイスペックPCがべらぼーな値段だったからいくら何でも揃えられたわけはない、 と言う事は“あのクオリティの作品を一人で、あの頃に作った?”となって「冗談じゃねぇ」と呟く羽目になるわけです。 文章で飯を喰いたいと思ってる私にとっては、同じ創作というフィールドにこんな天才がいるのは「冗談じゃねぇ」訳ですね。 その後速効で『雲のむこう、約束の場所』を借りてきて鑑賞、『秒速5センチメートル』は渋谷のミニシアターまで観に行きました、 映画館の場所が分からなくて右往左往しながら。 結果私がたどり着いた結論は、「ああ、こう言う人の事を“天才”と言うんだろうな」です。 この場合の天才というのは“どういう演出をすれば観客が面白いと思うのかが最初っから全部分かってる人”ですね、 どこの世界にもいるんですが感覚的に全部分かってしまう怪物みたいな人、いますね。 高校の時にべらぼーに頭がいいヤツがいたんで「数学教えてくれ」つったら『なんで分からないのか分からない』と言われてポカーンでしたが、 あれも天才タイプだったんでしょうねぇ。 『では、秀才タイプは?』と言う話になるかと思いますが、これもアニメ映画の『攻殻機動隊』を観ていただけると分かり易いかと思いますね。 お恥ずかしながらこっちも観たのは04年のはずですが、面白いのは当然として「この人は“魅せ方をめちゃくちゃ研究してるな”」でしたね。 アクションシーンにせよ、銃火器の射撃シーンにせよ、“経験を積んで更に研究していないとあの映像は創れない”はずです。 実写の映画でもそうだと思うんですが、アクションシーンなんかは監督の一存で見栄えがする映像創るのは難しいんで大体アドバイザーさんとかに入ってもらってると聞いています、 時代劇等で殺陣師さんが入ってるのはその所為もあるでしょう。 そう言うアニメを創る上でのテクニック諸々を所謂“下積み”の時代にかなり勉強されたんでしょう、 ご本人がお書きになった著書も拝読しましたが、かなりという表現が生易しいくらいの量勉強されてますね。 だからこその『攻殻機動隊』だったんだと思っています、少なくとも私は。 秀才タイプの人というのは、めちゃくちゃな勉強をして結果を出すタイプです。 上手い表現かどうかは分からないけれど“経験上この演出をすれば観客は面白いと思うだろうというのを自身の中に蓄積されたものによって導き出す事ができる人”でしょうかね? 分かりにくかったら申し訳ないです。 ただ、この場合“どちらが優れているかを問題にする事自体が問題”なんですよねぇ。 どういう事かというと、個々人それぞれ好き好きがあるのでこの話題になると確実に揉めます。 しかもそれぞれ作品創った方が与り知らないところで大喧嘩に発展しちゃうんでタチが悪いですね、 ご本人方はそもそも気にしませんから。 そんな事を一々気にしているようでは映画なんていう手間もコストも時間もかかるものを創れないですし、 それを気にするような方々だったら『ほしのこえ』も『攻殻機動隊』もどちらもこの世に出なかったでしょう。 私も経験があるんですが、居酒屋で『どちらが映像を創るものとして優れているのか』の話をしている内にヒートアップして彫刻刀で殴り合いを“しそうになって”しまった事があります。 実際にはしてないですよ? いえいえ本当に。 まぁ、一つ確実な事があるとすれば、“勉強を教えてもらうんならば秀才タイプの方がいい”と言う事でしょうか? 分からないから聞いてるのに『分からないが分からない』じゃあどうにもなりませんから。

ラノベ部

7月 28th, 2011

平坂読といえば今では「僕は友達が少ない」シリーズで大ブレイク中であるが、その前作に当たる「ラノベ部」に目を通した人はどれだけいるだろうか。コミカライズもなされている作品ではあるが、できることなら本作は「僕は友達が少ない」を読む前に読んでおくことをオススメする。いや、「僕は友達が少ない」を読んでいる途中でこちらに戻ってくるのもいいかもしれない。なぜなら本作は完全に「僕は友達が少ない」の副読本として読めるからである。作者自身が「僕は友達が少ない」の後書きで語っているよに、本作は労せずして友達を手に入れた「リア充」たちの物語である。登場人物はみんな一般人、ストーリーなどあってないようなもので、どの話も文芸部員たちが部室で仲良くしゃべっているだけだ。これだけだと「僕は友達が少ない」と大差ないように思えるかもしれないが、やはり大きな違いはこれが「リア充」たちの話だということ。それを読者に鋭く突きつけるようなセリフがある。登場人物の一人による、「日常系作品」に対する評だ。『日常系作品のような何も起きない平和な日常なんか実際にはどこにも無い。むしろ現実世界の人々がやっているのは、強大な敵に立ち向かったり理不尽な運命に抗ったりすることだ』。もちろんここで槍玉に挙げられている作品の中に、当の「ラノベ部」と後作品の「僕は友達が少ない」が含まれるであろうことは間違いが無いだろう。「僕は友達が少ない」のキャラクターが現実を変えようと必死でもがいているのに比べて、「ラノベ部」の面々は自分たち自身も含めてそういうもの全てを醒めた目で見ている。「日常系作品」のやさしい空気に酔っている最中に目を通すと思わずはっとしてしまう、そんな一作である。

せんせいになれません

7月 27th, 2011

赤松健の「魔法先生ネギま」は一クラス分三十人以上のキャラクターを書き分けていることで有名だが、学校を舞台にした作品にはさらにその上を行くものがある。小坂俊史の四コママンガ「せんせいになれません」がそれだ。小学校の教員たちを主人公にしたこの作品では、六年一組と六年二組、併せて約八十人の生徒が登場する。そして全員が虚弱体質、マセてる、音楽好きなどといった何かしらの特徴を持っており、そのキャラクターを生かしてどんどん物語に絡んでくるのである。一人一人の出番は少ないとはいえキャラクターはしっかり書き分けられていてぶれることはまず無い。これは完全に四コマというスタイルを選択したことの勝利だろう。とはいえ主人公はあくまでも(学校マンガにしては珍しく)生徒ではなく教師である。それも手抜き授業をすることに命をかける教師、ギャンブルに弱いくせにギャンブル好きで借金塗れの教師、風邪薬と腹薬の区別もつかない保険医などといった無茶な面々。生徒たちは彼ら担任教師たちに理不尽に振り回されたり、あるいは逆に振り回したりする役柄。彼らの学級風景はあくまでナンセンスに戯画化されており、教師が教師なのでロクに授業すら成立しない有様なのだが、読んでいるうちに心底「こんな学校に通いたかった」と思えてきてしまうから不思議である。メチャクチャな授業風景も、まるでどこかで見たことのある風景であるかのような錯覚に陥ってしまう一作である。

AL

7月 26th, 2011

ヤンキー漫画で有名な所十三がなぜこのような恐竜漫画を?と思う人も多いだろうが、かつてモーニング誌上で恐竜の生態を描いた「DINO2」を、そして本作と同じチャンピオン誌上で恐竜と人間が共存する世界を描いた「竜の国のユタ」シリーズを連載していたことを知っている人にとっては「待ちに待った」一作では無かっただろうか。本作は竜の国のユタとは違って、今時少年誌では稀有な人間が全く登場しない(白亜紀を舞台にしているのだから当然だが)動物漫画である。ストーリーはアルビノ(白い)個体として生まれ疎外されていた一匹のトリケラトプスの子供が、自分の群れを全滅させたティラノサウルスに復讐するために旅をする……というこれまた今時珍しい直球の展開。登場人物のセリフやモノローグがいちいち古臭いというか時代がかっているのも、むしろこの作品においてはいい味を出している。現代が舞台で人間が主役だったら単なる時代遅れになるところを、恐竜を主人公にすることでむしろ魅力を倍増させているのだ。それに加えて、ストーリーの要所要所にモノローグとして挿入される恐竜の化石や生態についての解説こそが本作最大の魅力である。恐竜オタクとしても知られる作者の面目躍如と言っていいだろう。あまりに多用される場面では話のテンポが乱れる嫌いはあるが、戦闘シーンなどでは最小限に抑えられているのでそこまで気にはならない。全四巻と一気によめる長さも魅力的で、恐竜漫画の入門編として最適な一作である。

クロサギ

7月 25th, 2011

クロサギを知っているでしょうか。クロサギは有名な実力派女優の堀北まき、ジャニーズのニュースの一員、俳優としても大活躍な山下智久主演でドラマ化されとても有名になりました。それゆえ、タイトルだけは知っているという人も少なからずいらっしゃると思います。私もドラマ版からクロサギの存在を知りました。クロサギはとても多い冊数の単行本が出版されています。そのため、読むことを躊躇してしまう人も少なからずいると思うのですが、一度読んでみることをおすすめいたします。少しクロサギの内容を説明いたしましょう。クロサギとは詐欺師のことです。詐欺師を詐欺にかける、詐欺師なのです。詐欺師によって一家を失い、また自分自身も、実の親に殺されかけたという苦しい過去から詐欺師を食う、クロサギになった主人公が詐欺師を詐欺にかける痛快なマンガなのです。とてもつくりこまれた頭脳戦と、人間ドラマはとても見ごたえがあります。新シリーズのクロサギは別ですが、クロサギはだいたい1冊に2~3つの事件を取り扱っています。最新の詐欺から昔からつかわれている詐欺まで、クロサギでとりあげる詐欺の事件はとても多様です。詐欺で最近有名なのはオレオレ詐欺ですが、低級なとりあげるまでもない詐欺なので、クロサギではとりあげていません。とりあげてはいませんが、刊行されているコミックの中にオレオレ詐欺の対処法が書かれています。かゆいところに手が届くコミックなのです。

ギャグマンガ日和

7月 24th, 2011

ギャグマンガ日和は集英社から出版されているコミックである。正統派のストーリーマンガではないのだが、とても人気をはくしている。雑誌に掲載されるときにページ数が少ないマンガにしてはこの人気はとても珍しいと思う。ギャグマンガ日和は連載時に一貫して主人公キャラクターがいるわけではない。毎回登場キャラクターが変わるのだ。連載期間も長いため、ひんぱんに登場するキャラクターもいて、シリーズ化しているやつもある。とくに、ジャージをきた聖徳太子と小野妹子が登場する遣隋使シリーズはギャクマンガ日よりの中ではたくさんのファンがいる作品である。聖徳太子は一般的には、頭のいい素晴らしい人のイメージがあると思うのだが、ギャグマンガ日和に書かれるとアホな聖徳太子に変貌する。カレー好きなおっさんで、青いジャージを着ている。一言で書くと、変なおっさんである。自分より階級が下の人にまで、馬鹿にされるほどである。それがまたとても面白いのである。アホな子ほどかわいいということだろうか。ちなみに、聖徳太子とともに行動をする、遣隋使の小野妹子は赤いジャージを着ている。聖徳太子と比べると階級が下なので、袖は短く、ノースリーブのジャージである。(そでが短い理由は、階級が上がればあがるほど袖が長くなるきまりらしいからだ。冠位十二階をまねて、かゆい十二階と名前がつけられている。)そんな風に史実からは考えられないキャラクターづけがされている。とても個性の強いコミックである。

忍たま乱太郎

7月 23rd, 2011

忍たま乱太郎は現在NHK教育(Eテレ)で放送されているアニメです。1回の放送は約10分。通常のアニメは30分の放送時間があるので、少し短い気もします。忍たま乱太郎はだいたいのストーリーの場合、1回の放送で完結するのですが、やはりストーリーによっては長く続いてしまうこともごくたまにあるのです。しかし、忍たま乱太郎の放送日が、1週間に5回あるので、通常のアニメのようにやきもきしながら、次回の放送を心まちにする必要はありません。これは忍たま乱太郎のファンにとってはとてもうれしいことです。忍たま乱太郎の長く次回に続いてしまうストーリーは、長くても5回分で1週間の放送分ぴったりなのです。しかし、ごくたまにですが、放送日がずれこんで、きりの悪い来週に持ち越しという回もありますが、そのときは、ほかのアニメのように待つ楽しみも味わうことも出来ます。忍たま乱太郎はとても人気のあるアニメのひとつで、現在NHKで放送しているシリーズで第19シリーズにもなります。来年の放送でめでたく20シリーズをむかえます。この長い期間放送をしているアニメはなかなかないと思われます。それだけ、とても人気のあるアニメなのです。最近では、2回目の劇場版長編アニメ(俗にいう映画版)が全国で公開されたり、ミュージカル版忍たま乱太郎が演じられたり、子ども店長でお馴染みの加藤清史郎主演で実写映画化されたりと通常放送をしているアニメに加え大きな盛り上がりを見せています。

ぼくらの

7月 22nd, 2011

『ぼくらの』というアニメがあります。とてもメジャーとは言えないアニメです。しかし、とても考えさせられるアニメのひとつです。『ぼくらの』は同タイトルのコミックが原作です。アニメの方が放送を終了してからしばらくして、原作のコミックの方も無事完結することが出来ました。ですから、アニメの方と原作のコミックの方は異なるところがたくさんあります。しかし、どちらもわたしたちに考えさせるという点では、同じと言えます。『ぼくらの』は命ついて考えさせられるアニメです。内容はある中学生たちは(一部中学生でない人もいるが)ロボットに乗って、別のロボットと戦わないといけなくなります。そのロボットというのが、操縦士のエネルギーで動くのです。相手のロボットに負ければ、自分のいるほうの地球がなくなります。もし、相手のロボットに勝ったならば、パラレルワールドの別の相手のロボットの地球がなくなります。相手の地球にもわたしたちと同じように生活をしている人がいるのにもかかわらずです。相手のロボットに勝てば少なくとも、自分のいるほうの地球は助かります。しかし、操縦士の命は、ロボットのエネルギーにとられているので、なくなります。わかるでしょうか。ロボットを操縦する人にとっては勝っても、負けても結果としては必ず死が待っているのです。どちらにしても、やるせないストーリーなのです。しかし、これほど、考えさせられるアニメはないと思うのです。

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